(名所)大津・西武隣・紅葉 (動画有り)
京都の高尾の紅葉はちょっと茶色っぽくて残念でしたが、大津の西武百貨店横のプラタナスが燃えるような紅葉です。
運河と言うか川と言うのか、鴨の群れが浮かんでいました。
西隣のPARCOの1階の木がLEDで輝いていたんですが、まだ暗くないので、ちょっと分かりにくいです。
びわ湖ホールでコンサートがあるのか、琵琶湖側の展望デッキにはたくさんの観客が集まっています。
西武横の紅葉通り(5分39秒)
(紅葉通りとは、勝手に名づけたタイトルです。)
今年は鮮やかな紅葉が見られないかなと思っていたんですが、これで何とか焼き付けたので、年を越せます。(笑)
◎先日、テレビで横浜で誕生したスパゲティのナポリタンを取り上げていたので少し見ていたんですが、最近ではバリエーションが増えて、ナポリタンの上にさらにクリーム・シチューのようなのをかけたり、ソーセージとか玉子焼きを乗せたり、店で出しているシーンを見ていたら、ナポリタンと同じ皿に白いご飯が添えてありました。
◎昨夜、BSでオードリー・ヘプバーンの生い立ちを取材した番組の後半が放送されていました。
これまで番組のPRをしていたのは知っていたんですが、前編・後編に分かれていたとは知らなくて、後編だけ見ることが出来ました。
後編は主にメル・ファーラーと離婚してから、イタリア人の精神科医のドティ氏と結婚するころからスタートしました。
結婚してからは引退同然の、主に主婦としてローマで暮らしていて次男が生まれます。
生活するところは、ローマでも高級住宅街と言われるところで、子供が学校に行くころになると、学校までの送り迎えも自分でしていました。
番組では、次男が生活するローマのアパートを訪れて、オードリーの思い出を語ってもらっていました。
長男は何度かテレビで見たことがあるんですが、次男のルカを見たのは初めてでした。
長男はメル・ファーラーに似ていますが、次男はヒゲずらでしたがオードリーによく似ていました。
しかし、ローマでの生活もドティ氏が暴漢に殴られ何針も縫う事件があって、物騒な時代に入り、夫婦の危機も訪れて離婚をし、子供と一緒にスイスに移住します。
スイスでの生活は、都会ではなく田舎で湖が遠方に見える見晴らしのいい農村でした。
家には住み込みの庭師の一家を入れて、生活していました。
買い物も自分で週に2回ほどしたりして、村の人たちとも仲良しになります。
買う花は白い花だけとか、チョコレートが好きでよく買いに行った店も取材して、パパラッチから逃げるためにその店の裏口から逃がしてもらったりしたそうです。
今は、亡くなるまで住んでいた家は家は他人に渡っていて、塀の中までは見られませんでした。
最後は、その村にある彼女の墓地に行って白い花把をささげていました。
大戦時代は食料難で、オランダでチューリップの球根を食べていたとか言っていました。
運河と言うか川と言うのか、鴨の群れが浮かんでいました。
西隣のPARCOの1階の木がLEDで輝いていたんですが、まだ暗くないので、ちょっと分かりにくいです。
びわ湖ホールでコンサートがあるのか、琵琶湖側の展望デッキにはたくさんの観客が集まっています。
西武横の紅葉通り(5分39秒)
(紅葉通りとは、勝手に名づけたタイトルです。)
今年は鮮やかな紅葉が見られないかなと思っていたんですが、これで何とか焼き付けたので、年を越せます。(笑)
◎先日、テレビで横浜で誕生したスパゲティのナポリタンを取り上げていたので少し見ていたんですが、最近ではバリエーションが増えて、ナポリタンの上にさらにクリーム・シチューのようなのをかけたり、ソーセージとか玉子焼きを乗せたり、店で出しているシーンを見ていたら、ナポリタンと同じ皿に白いご飯が添えてありました。
◎昨夜、BSでオードリー・ヘプバーンの生い立ちを取材した番組の後半が放送されていました。
これまで番組のPRをしていたのは知っていたんですが、前編・後編に分かれていたとは知らなくて、後編だけ見ることが出来ました。
後編は主にメル・ファーラーと離婚してから、イタリア人の精神科医のドティ氏と結婚するころからスタートしました。
結婚してからは引退同然の、主に主婦としてローマで暮らしていて次男が生まれます。
生活するところは、ローマでも高級住宅街と言われるところで、子供が学校に行くころになると、学校までの送り迎えも自分でしていました。
番組では、次男が生活するローマのアパートを訪れて、オードリーの思い出を語ってもらっていました。
長男は何度かテレビで見たことがあるんですが、次男のルカを見たのは初めてでした。
長男はメル・ファーラーに似ていますが、次男はヒゲずらでしたがオードリーによく似ていました。
しかし、ローマでの生活もドティ氏が暴漢に殴られ何針も縫う事件があって、物騒な時代に入り、夫婦の危機も訪れて離婚をし、子供と一緒にスイスに移住します。
スイスでの生活は、都会ではなく田舎で湖が遠方に見える見晴らしのいい農村でした。
家には住み込みの庭師の一家を入れて、生活していました。
買い物も自分で週に2回ほどしたりして、村の人たちとも仲良しになります。
買う花は白い花だけとか、チョコレートが好きでよく買いに行った店も取材して、パパラッチから逃げるためにその店の裏口から逃がしてもらったりしたそうです。
今は、亡くなるまで住んでいた家は家は他人に渡っていて、塀の中までは見られませんでした。
最後は、その村にある彼女の墓地に行って白い花把をささげていました。
大戦時代は食料難で、オランダでチューリップの球根を食べていたとか言っていました。
by white001a
| 2013-12-01 21:35
| 名所